除夜の鐘(続き)

2016-12-31 除夜の鐘の記事

| ネットだけの情報なので正確ではないかもしれませんが、ご容赦を。

と書きましたが、実際に資料を確認したところかなり印象が違いました。

(3) 明治5年12月2日に除夜の鐘は鳴ったか。
引用された2文献を確認しましたが、いずれも明治5年末だけ特別に除夜の鐘が
鳴らなかったとあるだけで、通常の年は鳴らしているという前提での記述でした。

(2) 偽伝統?
実際に引用されたインタヴューの出典は、東京朝日新聞1924年12月31日朝刊 p.7 です。
もうひとつの新聞というのは、報知新聞1924年12月30日夕刊 p.8[1] だと思われます。
こちらにも
> 上野にある時の鐘も、矢張り百八ツを打ち出すと、世間の人は思っておりますが、
> あれは時の鐘で、だゝ゛時間を報ずるだけで◇除夜の鐘は打ちません、<後略>
とありますが、なぜか(2)では引用されていません。

要注意なのは、これは上野寛永寺など時の鐘を公的に撞くことになっていた[2]
寺院に限定されるということです。つまり、「一般の寺院では江戸時代も当然
除夜の鐘を鳴らしていたが、上野寛永寺など“特別な寺院”では時の鐘を優先
して、除夜の鐘は鳴らさなかった」ということを書いている。

浦井祥子『江戸の時刻と時の鐘』p.27 図1 江戸時代の時の鐘の配置 には、
15か所が記されていて、そのうち3か所は時の鐘の存在は確認できていない
としています。“特別な寺院”はそのくらいしかなかったわけです。

このように調べてみると「除夜の鐘が庶民にとって一般的になったのは
明治以降」というのは、正しくないのではないかと思われます。

やはりちゃんと調べてみるものですね。

[1] このころの報知新聞はスポーツ紙ではなく一般紙でした。この年は
  12月31日付の発行はなく、1924年12月30日夕刊が年末最後でした。

[2] 読売新聞1915年1月1日朝刊 p.11 には上野寛永寺で、
 > 當寺では夜十時から始めて十二時で終わる△百八ツ撞く
  とあり、時の鐘が役割を終えて以降、寛永寺でも除夜の鐘を鳴らしていた
  ことがわかります。

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