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zoom RSS 一日の境

<<   作成日時 : 2012/11/08 00:00   >>

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*日本の場合

暦面で見える一日の境は、以前
 http://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/pcs/time.pdf
にとりまとめたとおり、平安時代から首尾一貫して、夜半(現代でいう午前0時頃)です。
暦面での唯一の例外は、元文5年(1740年)〜宝暦2年(1752年)の期間。この期間は、
夜半から卯の4刻までに「翌」の字が付き、二十四節気の日付は前日である[1]とのこと。
つまり、日の境が午前6時頃になっていたことになります。

天体観測の記録での一日の境はまた別で、斉藤国治『古代の時刻制度』第III章によれば、
A.D.1600年までの星食・犯記録から、「丑寅の境」(定時法の午前3時)を一日の境として
記録していた由[2]。日常生活は不定時法であったと思われるので、これは制度として
「丑寅の境」が一日の境であったと解釈するよりも、天体観測という特殊な作業に限定
した扱いであったと理解すべきかと思います。

*外国の場合

インドやチベットでは日の出が一日の境、
旧約聖書の創世記に「夕となり朝となって」とあるように、ユダヤ教・キリスト教・
イスラームでは日没が一日の境となります。[3]

『「こよみ」と「くらし」』P.180に、林武氏の「ムスリムの計時法」という随想があり、

 次の例会は「水曜日の夜、報告者はR氏です」と連絡を受けた。その日時に会場に行ったら、
 誰もいない。<中略>また失敗したとホゾをかむ。水曜日の夜というのは、生活カレンダー
 では、実は、「火曜日の夜」のことなのである。

という印象的な話が書いてあったのを思い出します。

[1] 内田正男『日本暦日原典(第四版)』P.505
[2] 斉藤国治『古代の時刻制度』P.81-82 によれば、中国・朝鮮では境が明確でない由。
[3] “神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。”のですから、闇が光に先行
  するのは自然です。

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